ドズル・ザビ(Dozle Zabi)
2000年1月9日 人物辞典
ジオン公国軍宇宙攻撃軍司令で階級は中将。身長210cmの巨漢。デギンの三男。一年戦争時は28歳。
親ダイクン派(旧ジオン派)によると思われる爆弾テロの際に、同じ車に同乗していたサスロを守れなかったことから、顔にテロで負った傷痕をその戒めの為に残したのもだといわれている。
なお、軍服の肩のトゲは単なる威嚇用であるとの説あるが未だ明確な結論は出ていない。シャアのマントや仮面の例に漏れず、ジオンの重要人物の服装等には独特のものがある。
一年戦争以前はジオン士官学校校長をしている。ここでは彼の妻ゼナはこの時の生徒であった。
ドズルは妾の子であるとするのが通説である。その為か、父デギンからはあまり愛されていなかったようで、むしろ不当なまでに酷い扱いを受けている。ドズルの死に対してデギンはギレンですら憤るほど反応が少なかった。
ガルマが士官学校の生徒達と蜂起した「暁の蜂起事件」の際、ドズルには殆ど責任はないにもかかわらず能無しと罵られた上にガルマ達の責任を全て負う形で士官学校校長の座を辞任させられている。
乗艦はグワジン級戦艦グワラン(ガンドワ)であるが、ルウム戦役時はムサイ級軽巡洋艦ファルメルに乗艦。後にファルメルはシャアに譲渡する目的で竣工され、実際は将官用ムサイ級カスタム軽巡洋艦ワルキューレと言う。
搭乗したMSはドズル・ザビ専用ザクIIであり、両肩に刺がつき、カーキベースの金縁模様、ヒートホークはランバ・ラル専用ザクIと同じ大型タイプといかにも高級カスタム機といった風情を持っている。
ガルマの葬儀に出席するためにズム・シティに帰還する際、一般型のムサイに乗艦し、ズム・シティをムサイ艦橋から観察して、戦時下なのに何の補強工事も施されていないことを嘆いた。
サイド1の空域に建設された宇宙要塞ソロモンに駐留する。妻のゼナとの間に娘ミネバがいる。ザビ家の中では政治に長けたギレンやキシリアがいる一方、彼は政治に関与せず、純粋な武人として振舞っていた。
指揮官としての統率力・指揮能力も十分にあり、部下の信望も篤い。また愛妻家としても知られており、家族に深い愛情を注いでいた。妻ゼナに向かって権力の増大とともに人間味を失っていく肉親たちを嘆いている。
当初はモビルスーツを軽視していたものの、一週間戦争の戦果によりそれを認めるようになった。安彦氏の新解釈では、モビルスーツの開発を主導したとされている。
以後は司令官としてだけに留まらず、ザクIIF型(S型説もある)を改修した専用機を操り前線に出向くこともあった。もちろんこれはポーズに過ぎないが、前線兵士の士気高揚において大いに効果を上げた。
ナルスの面影を強く残すガルマを溺愛しており、彼の能力を高く評価して、ドズル自身も使いこなすような将軍になれと言う程、その成長を楽しみにしていた。それ故、ガルマの戦死後には彼を守りきれなかったとしてシャアを左遷させ(彼自身はシャアの処刑を主張していたが、デギンの裁定で左遷となった経緯がある)、仇討ち部隊としてランバ・ラル隊を地球に派遣している。
また、左遷の後キシリアに登用されたシャアを牽制するために、サイド6に寄港したホワイトベースに対して、コンスコン少将指揮下の機動部隊を派遣している。
地球連邦軍のチェンバロ作戦(ソロモン攻略戦)が開始される前にギレンへ援軍を要請するが、ソロモンに送られてきたのは試作モビルアーマー「ビグ・ザム」1機のみであった。ビグ・ザム1機で2〜3個師団にも相当するはずと豪語するギレンに対し思わず「戦いは数」と不満をぶつけている。この発言自体、まず兵数ありきのまっとうな用兵を念頭に置いた発言であり、無思慮な精神論主義者に見られがちなドズルが、まともな用兵理論をもった有能な指揮官であることがわかる。
宇宙世紀0079年12月24日、ついにティアンム提督指揮下の連邦軍によるソロモン攻略戦が始まると、地球連邦軍の量産MSジムやボールを初めて本格的に実戦投入した熾烈な攻撃や、新兵器ソーラ・システムによる被害の大きさを目の当たりにして、もはやソロモンを支えきれないと判断。妻子を脱出させた後にソロモンの放棄を命令し、自らはビグ・ザムに搭乗して出撃。残存兵力撤退の時間稼ぎのために連邦艦隊の中心部へ単騎特攻をかけた。
ドズルの操るビグ・ザムは強力な磁界(のちのIフィールド)を張り巡らせて長距離ビーム砲をものともせず、大型メガ粒子砲によりティアンム提督の旗艦『タイタン』を撃沈、さらに拡散ビーム砲の斉射によって連邦軍のサラミス級巡洋艦やモビルスーツを多数撃破した。これらの圧倒的戦果に自信を得たドズルはビグ・ザムが量産化できれば連邦に勝てると確信している。しかし、Iフィールドジェネレーターによるバリアシステムの弱点を見抜いたスレッガー・ロウは、自らが操縦するGファイター(コア・ブースター)とアムロ・レイの操縦するガンダムを合体させ、攻撃が有効となるギリギリの距離まで接近しての突撃をかける。この捨て身の攻撃でスレッガーが犠牲になるも、ビグ・ザムはガンダムのビームサーベルで撃破され、ドズルも戦死する。その直前、ドズルは単身ノーマルスーツ姿で自動小銃(ジオン制式採用の無反動ライフル)を手にしガンダムに向けて発砲しているが、アムロはドズルの背後に立ち昇る悪鬼のような人間の情念を目の当たりにし戦慄している。
ザビ家の中でも策略家であったギレンやキシリアとは異なり、もっぱら現場第一主義だったドズルは、戦略的視野に欠けた司令官として批判されがちである。しかし彼は基本的に有能な指揮官であり、誰よりも前線の兵士の事を考えていたため、部下にも敬愛されている。
また、基本的に軍事レベルでの立場に終始しているものの戦略と戦術の区別がついている数少ない人間でもある。「戦いは数だよ、兄貴」発言や、軍学校校長としての訓示等にその一端がうかがえる。
彼の元にはシャア・アズナブル、シン・マツナガ、アナベル・ガトー、ランバ・ラルなど多くのエースパイロットが集まった。
ザビ家という陰謀の館の中ではガルマと共に例外的に人間味があり、それ故にやがて孤立して戦いの中に散った悲劇の人といえる。
彼の死後、スペースノイド独立の悲願は妻ゼナとの間に生まれた娘ミネバに託され、歴史を動かすことになる。ただしこれは、ジオン残党の権力拡大に利用されたという見方も成り立つ。
ブリティッシュ作戦の犠牲者やルウム戦役での僚艦撃沈に涙する姿が描かれている
はルウム戦役で捕虜になった敵将のレビルに敬礼するなど、武人としての礼節を重んじる一面もあったようである。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/より抜粋。
親ダイクン派(旧ジオン派)によると思われる爆弾テロの際に、同じ車に同乗していたサスロを守れなかったことから、顔にテロで負った傷痕をその戒めの為に残したのもだといわれている。
なお、軍服の肩のトゲは単なる威嚇用であるとの説あるが未だ明確な結論は出ていない。シャアのマントや仮面の例に漏れず、ジオンの重要人物の服装等には独特のものがある。
一年戦争以前はジオン士官学校校長をしている。ここでは彼の妻ゼナはこの時の生徒であった。
ドズルは妾の子であるとするのが通説である。その為か、父デギンからはあまり愛されていなかったようで、むしろ不当なまでに酷い扱いを受けている。ドズルの死に対してデギンはギレンですら憤るほど反応が少なかった。
ガルマが士官学校の生徒達と蜂起した「暁の蜂起事件」の際、ドズルには殆ど責任はないにもかかわらず能無しと罵られた上にガルマ達の責任を全て負う形で士官学校校長の座を辞任させられている。
乗艦はグワジン級戦艦グワラン(ガンドワ)であるが、ルウム戦役時はムサイ級軽巡洋艦ファルメルに乗艦。後にファルメルはシャアに譲渡する目的で竣工され、実際は将官用ムサイ級カスタム軽巡洋艦ワルキューレと言う。
搭乗したMSはドズル・ザビ専用ザクIIであり、両肩に刺がつき、カーキベースの金縁模様、ヒートホークはランバ・ラル専用ザクIと同じ大型タイプといかにも高級カスタム機といった風情を持っている。
ガルマの葬儀に出席するためにズム・シティに帰還する際、一般型のムサイに乗艦し、ズム・シティをムサイ艦橋から観察して、戦時下なのに何の補強工事も施されていないことを嘆いた。
サイド1の空域に建設された宇宙要塞ソロモンに駐留する。妻のゼナとの間に娘ミネバがいる。ザビ家の中では政治に長けたギレンやキシリアがいる一方、彼は政治に関与せず、純粋な武人として振舞っていた。
指揮官としての統率力・指揮能力も十分にあり、部下の信望も篤い。また愛妻家としても知られており、家族に深い愛情を注いでいた。妻ゼナに向かって権力の増大とともに人間味を失っていく肉親たちを嘆いている。
当初はモビルスーツを軽視していたものの、一週間戦争の戦果によりそれを認めるようになった。安彦氏の新解釈では、モビルスーツの開発を主導したとされている。
以後は司令官としてだけに留まらず、ザクIIF型(S型説もある)を改修した専用機を操り前線に出向くこともあった。もちろんこれはポーズに過ぎないが、前線兵士の士気高揚において大いに効果を上げた。
ナルスの面影を強く残すガルマを溺愛しており、彼の能力を高く評価して、ドズル自身も使いこなすような将軍になれと言う程、その成長を楽しみにしていた。それ故、ガルマの戦死後には彼を守りきれなかったとしてシャアを左遷させ(彼自身はシャアの処刑を主張していたが、デギンの裁定で左遷となった経緯がある)、仇討ち部隊としてランバ・ラル隊を地球に派遣している。
また、左遷の後キシリアに登用されたシャアを牽制するために、サイド6に寄港したホワイトベースに対して、コンスコン少将指揮下の機動部隊を派遣している。
地球連邦軍のチェンバロ作戦(ソロモン攻略戦)が開始される前にギレンへ援軍を要請するが、ソロモンに送られてきたのは試作モビルアーマー「ビグ・ザム」1機のみであった。ビグ・ザム1機で2〜3個師団にも相当するはずと豪語するギレンに対し思わず「戦いは数」と不満をぶつけている。この発言自体、まず兵数ありきのまっとうな用兵を念頭に置いた発言であり、無思慮な精神論主義者に見られがちなドズルが、まともな用兵理論をもった有能な指揮官であることがわかる。
宇宙世紀0079年12月24日、ついにティアンム提督指揮下の連邦軍によるソロモン攻略戦が始まると、地球連邦軍の量産MSジムやボールを初めて本格的に実戦投入した熾烈な攻撃や、新兵器ソーラ・システムによる被害の大きさを目の当たりにして、もはやソロモンを支えきれないと判断。妻子を脱出させた後にソロモンの放棄を命令し、自らはビグ・ザムに搭乗して出撃。残存兵力撤退の時間稼ぎのために連邦艦隊の中心部へ単騎特攻をかけた。
ドズルの操るビグ・ザムは強力な磁界(のちのIフィールド)を張り巡らせて長距離ビーム砲をものともせず、大型メガ粒子砲によりティアンム提督の旗艦『タイタン』を撃沈、さらに拡散ビーム砲の斉射によって連邦軍のサラミス級巡洋艦やモビルスーツを多数撃破した。これらの圧倒的戦果に自信を得たドズルはビグ・ザムが量産化できれば連邦に勝てると確信している。しかし、Iフィールドジェネレーターによるバリアシステムの弱点を見抜いたスレッガー・ロウは、自らが操縦するGファイター(コア・ブースター)とアムロ・レイの操縦するガンダムを合体させ、攻撃が有効となるギリギリの距離まで接近しての突撃をかける。この捨て身の攻撃でスレッガーが犠牲になるも、ビグ・ザムはガンダムのビームサーベルで撃破され、ドズルも戦死する。その直前、ドズルは単身ノーマルスーツ姿で自動小銃(ジオン制式採用の無反動ライフル)を手にしガンダムに向けて発砲しているが、アムロはドズルの背後に立ち昇る悪鬼のような人間の情念を目の当たりにし戦慄している。
ザビ家の中でも策略家であったギレンやキシリアとは異なり、もっぱら現場第一主義だったドズルは、戦略的視野に欠けた司令官として批判されがちである。しかし彼は基本的に有能な指揮官であり、誰よりも前線の兵士の事を考えていたため、部下にも敬愛されている。
また、基本的に軍事レベルでの立場に終始しているものの戦略と戦術の区別がついている数少ない人間でもある。「戦いは数だよ、兄貴」発言や、軍学校校長としての訓示等にその一端がうかがえる。
彼の元にはシャア・アズナブル、シン・マツナガ、アナベル・ガトー、ランバ・ラルなど多くのエースパイロットが集まった。
ザビ家という陰謀の館の中ではガルマと共に例外的に人間味があり、それ故にやがて孤立して戦いの中に散った悲劇の人といえる。
彼の死後、スペースノイド独立の悲願は妻ゼナとの間に生まれた娘ミネバに託され、歴史を動かすことになる。ただしこれは、ジオン残党の権力拡大に利用されたという見方も成り立つ。
ブリティッシュ作戦の犠牲者やルウム戦役での僚艦撃沈に涙する姿が描かれている
はルウム戦役で捕虜になった敵将のレビルに敬礼するなど、武人としての礼節を重んじる一面もあったようである。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/より抜粋。
サスロ・ザビ(Sasro Zabi)
2000年1月8日 人物辞典デギンの次男。年齢等詳細は不明(宇宙世紀0068年没説あり)。
一年戦争時には既に死亡していた為、政治家としての能力が高かった旨が語られるのみで、その人物像は長い間不明であった。
外見は、ギレンの目つきの悪さとドズルの屈強な体格を併せ持つ感じである。彼はムンゾ国民運動部長としてマスコミを牛耳り、世論操作などを行っていたとされる。仕事ぶりは非常に良かったが、ダイクンの遺児を取り逃がした妹キシリアを殴り、それを咎めたドズルにもしつこく文句をいうなど、性格面においてもギレンの傲慢さとドズルの粗暴さを併せ持つという負の側面が強い。
ジオン・ダイクンの葬儀の際、テロにより乗車を爆破され暗殺されたとされている。同行していたドズルは兄弟を守れなかったという後悔の念から、末弟のガルマを溺愛するようになった。また、彼の特徴である顔の傷はその時に出来たものであるという説がある。安彦氏の新解釈では、この暗殺は彼に怨恨を抱いたキシリアの仕業では無いかとされているが、真相は定かではない。マスコミ操作により、世間ではザビ家と対立するジンバ・ラルの謀略と思われていた。なお、サスロの死に対して、ドズル以外のザビ家の面々は悲しむ素振りすら見せなかったことから、その高慢な性格ゆえ家族からも疎まれていたようである(というより、ドズル以外のザビ家の面々は、身内の誰が死んでもろくに悲しむ素振りを見せていない)。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/より抜粋。
一年戦争時には既に死亡していた為、政治家としての能力が高かった旨が語られるのみで、その人物像は長い間不明であった。
外見は、ギレンの目つきの悪さとドズルの屈強な体格を併せ持つ感じである。彼はムンゾ国民運動部長としてマスコミを牛耳り、世論操作などを行っていたとされる。仕事ぶりは非常に良かったが、ダイクンの遺児を取り逃がした妹キシリアを殴り、それを咎めたドズルにもしつこく文句をいうなど、性格面においてもギレンの傲慢さとドズルの粗暴さを併せ持つという負の側面が強い。
ジオン・ダイクンの葬儀の際、テロにより乗車を爆破され暗殺されたとされている。同行していたドズルは兄弟を守れなかったという後悔の念から、末弟のガルマを溺愛するようになった。また、彼の特徴である顔の傷はその時に出来たものであるという説がある。安彦氏の新解釈では、この暗殺は彼に怨恨を抱いたキシリアの仕業では無いかとされているが、真相は定かではない。マスコミ操作により、世間ではザビ家と対立するジンバ・ラルの謀略と思われていた。なお、サスロの死に対して、ドズル以外のザビ家の面々は悲しむ素振りすら見せなかったことから、その高慢な性格ゆえ家族からも疎まれていたようである(というより、ドズル以外のザビ家の面々は、身内の誰が死んでもろくに悲しむ素振りを見せていない)。
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キシリア・ザビ(Kycilia Zabi)
2000年1月7日 人物辞典
ジオン公国軍突撃機動軍司令で階級は少将。デギンの長女。一年戦争時の年齢は推定29〜34歳。
ギレンとは政治的に、ドズルとは軍事的に対立していた。末弟のガルマに対してはガルマが自分への忠誠心を見せるため利用していたようである。常にマスクをしており、その理由は戦場で血の臭いを嫌悪しているからだとも、女を捨てたからだとも言われる。公式には放射能焼けを防ぐためとされている。
安彦氏の新解釈では、ジオン黎明期から政争に明け暮れた冷酷な野心家としての面が目立っている。些細な諍いから次兄サスロを暗殺する、キャスバルを粛正するために多数の乗客のいる宇宙船をテロや事故に見せかけて爆破するなど枚挙に暇がない。
真紅の流星こと、ジョニー・ライデンが少女時代のキシリアに助けてもらったことがあり、ジオン軍パイロットとして志願するきっかけになった憧れの女性だったらしい。
若くして政治に目覚めており、10歳年上である兄ギレンと対峙するため軍事力や政治ルートなどを独力で確立する必要があったが、これは正攻法では困難であった。そのためか、モビルスーツやニュータイプなど新しいものに目をつける傾向が見られる。大佐時代の宇宙世紀0078年10月には、モビルスーツ戦の利点を説いて宇宙艦隊を重視していたドズルと対立し、両者とも軍籍を離脱するとまで発言した。結局ギレンの調停が入り、ジオン公国軍はドズルの指揮する宇宙攻撃軍とキシリアの指揮する教導機動大隊をベースとした突撃機動軍に分裂することとなった。なお、一年戦争中にも戦略海洋諜報部隊の本拠となるキャリフォルニアベースの取り扱いについてドズルと対立。ドロス級大型輸送空母ドロワ(ただし未完成)を譲ることによりドズルの譲歩を得ている。
兄ギレンと政治的に反目する過程で、自己の政治勢力を拡大することに腐心していった。月の裏側、グラナダ基地を根拠地とし、末弟ガルマ・ザビ旗下の北米方面軍によって北米大陸を押さえる一方、そのガルマの死を怒る弟ドズルによって左遷されたシャアを登用しマッドアングラー隊(大西洋潜水艦隊)を預けたり、腹心マ・クベ大佐を地球に派遣して、中央アジア(オデッサ)を中心に鉱物資源を採掘させるなどした。サイド6の中立化政策も彼女の発案とされている。ニュータイプに対しても一定の理解があった模様で、フラナガン機関を創設したが、政治力を強化するための手段としか考えていなかったとするのが一般的である(少なくともシャアはそのように考えていた)。
シャアとは、彼がダイクンの息子キャスバルであった時に「幼い頃に遊んでやった」間柄でもあり、後にその正体を見破るが、彼の目的がザビ家打倒からジオニズム実現へと移行しているとの言質を取った上で、逆に自分の懐刀として使うことを伝える。兄ギレンが父デギンを謀殺したことを知ったため、これを機にア・バオア・クーの戦いの最中である宇宙世紀0079年12月31日、宇宙要塞ア・バオア・クーの司令部でギレンを射殺。総司令となるが、皮肉にも戦況はこの暗殺による指揮系統の一時的な混乱を機に逆転、ジオン軍の敗色が濃厚となる。トワニングに後を任せ、ザンジバル級機動巡洋艦(艦名はズワメルとする説がある)で脱出を図るが、翻意したシャアが発進寸前だったザンジバルのブリッジに向けて放ったバズーカの直撃によって死亡。幼いキャスバルの聡明さを愛していただけに、その正体を知りながらもシャアに対する信頼は厚く、政治的計算の他にも期待するところが大きかったようである。最期の瞬間、自分に砲口を向けるシャアを確認した時の表情は驚愕に充ちたものだった(だが、これはこのときシャアが搭乗していたMSジオングからの信号が途絶しており、彼女がシャアを戦死したものと思っていたこともある)。
わずか10歳にしてダイクンの後継者として毅然とした態度を見せたキャスバルに畏れを抱いた一方で、後に成長した彼のジオン入国を察知して暗殺命令を出した際には、「無名で朽ち果るつもりなら生かしておいた物を」と自身に言い訳するかの様な独白を発しており、畏れと同時に彼に惹かれる所があった事を伺わせている。
一年戦争当時の地球では、彼女の死をもってザビ家とジオン公国は崩壊したと見られていた。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/より抜粋。
ギレンとは政治的に、ドズルとは軍事的に対立していた。末弟のガルマに対してはガルマが自分への忠誠心を見せるため利用していたようである。常にマスクをしており、その理由は戦場で血の臭いを嫌悪しているからだとも、女を捨てたからだとも言われる。公式には放射能焼けを防ぐためとされている。
安彦氏の新解釈では、ジオン黎明期から政争に明け暮れた冷酷な野心家としての面が目立っている。些細な諍いから次兄サスロを暗殺する、キャスバルを粛正するために多数の乗客のいる宇宙船をテロや事故に見せかけて爆破するなど枚挙に暇がない。
真紅の流星こと、ジョニー・ライデンが少女時代のキシリアに助けてもらったことがあり、ジオン軍パイロットとして志願するきっかけになった憧れの女性だったらしい。
若くして政治に目覚めており、10歳年上である兄ギレンと対峙するため軍事力や政治ルートなどを独力で確立する必要があったが、これは正攻法では困難であった。そのためか、モビルスーツやニュータイプなど新しいものに目をつける傾向が見られる。大佐時代の宇宙世紀0078年10月には、モビルスーツ戦の利点を説いて宇宙艦隊を重視していたドズルと対立し、両者とも軍籍を離脱するとまで発言した。結局ギレンの調停が入り、ジオン公国軍はドズルの指揮する宇宙攻撃軍とキシリアの指揮する教導機動大隊をベースとした突撃機動軍に分裂することとなった。なお、一年戦争中にも戦略海洋諜報部隊の本拠となるキャリフォルニアベースの取り扱いについてドズルと対立。ドロス級大型輸送空母ドロワ(ただし未完成)を譲ることによりドズルの譲歩を得ている。
兄ギレンと政治的に反目する過程で、自己の政治勢力を拡大することに腐心していった。月の裏側、グラナダ基地を根拠地とし、末弟ガルマ・ザビ旗下の北米方面軍によって北米大陸を押さえる一方、そのガルマの死を怒る弟ドズルによって左遷されたシャアを登用しマッドアングラー隊(大西洋潜水艦隊)を預けたり、腹心マ・クベ大佐を地球に派遣して、中央アジア(オデッサ)を中心に鉱物資源を採掘させるなどした。サイド6の中立化政策も彼女の発案とされている。ニュータイプに対しても一定の理解があった模様で、フラナガン機関を創設したが、政治力を強化するための手段としか考えていなかったとするのが一般的である(少なくともシャアはそのように考えていた)。
シャアとは、彼がダイクンの息子キャスバルであった時に「幼い頃に遊んでやった」間柄でもあり、後にその正体を見破るが、彼の目的がザビ家打倒からジオニズム実現へと移行しているとの言質を取った上で、逆に自分の懐刀として使うことを伝える。兄ギレンが父デギンを謀殺したことを知ったため、これを機にア・バオア・クーの戦いの最中である宇宙世紀0079年12月31日、宇宙要塞ア・バオア・クーの司令部でギレンを射殺。総司令となるが、皮肉にも戦況はこの暗殺による指揮系統の一時的な混乱を機に逆転、ジオン軍の敗色が濃厚となる。トワニングに後を任せ、ザンジバル級機動巡洋艦(艦名はズワメルとする説がある)で脱出を図るが、翻意したシャアが発進寸前だったザンジバルのブリッジに向けて放ったバズーカの直撃によって死亡。幼いキャスバルの聡明さを愛していただけに、その正体を知りながらもシャアに対する信頼は厚く、政治的計算の他にも期待するところが大きかったようである。最期の瞬間、自分に砲口を向けるシャアを確認した時の表情は驚愕に充ちたものだった(だが、これはこのときシャアが搭乗していたMSジオングからの信号が途絶しており、彼女がシャアを戦死したものと思っていたこともある)。
わずか10歳にしてダイクンの後継者として毅然とした態度を見せたキャスバルに畏れを抱いた一方で、後に成長した彼のジオン入国を察知して暗殺命令を出した際には、「無名で朽ち果るつもりなら生かしておいた物を」と自身に言い訳するかの様な独白を発しており、畏れと同時に彼に惹かれる所があった事を伺わせている。
一年戦争当時の地球では、彼女の死をもってザビ家とジオン公国は崩壊したと見られていた。
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ギレン・ザビ(Gihren Zabi)
2000年1月6日 人物辞典
ジオン公国の総帥にして階級は大将。デギンの長男。一年戦争時は35歳。身長190cmの長身。少年時代から政治活動に参加し、デギンの隠退後は、ジオン公国の実質的最高指導者(総帥)となっていた。彼の唱えた政治思想や世界観は巨大な影響力を持ち、次世代にまで波及していった。
青年時代に父デギンと共に、ジオン・ダイクンの指導する革命に参加。デギンの隠退後は、ジオン公国の全権を掌握し事実上の最高指導者として君臨する。IQ240の天才で沈着冷静であるが、非情かつ高慢な性格。宇宙世紀0071年にサイド3国民の優秀さを讃え、彼らが選ばれたエリートであるとする選民思想の色合いが強い著書「優性人類生存説」を発表。アースノイドやスペースノイドの大多数には非難されたが、連邦政府の政策に強い不満を持っているサイド3国民からは熱狂的支持を受けた。雄弁家でもあり、アジテーターとしても超一流で、持てる才能を遺憾なく発揮していた。デギンの反対を押し切り、国民の戦意高揚のために末弟ガルマの国葬を利用したところにもそれが現われている。ニュータイプについてはそれほど深い理解や共感を持つことは無く、あくまで政略・戦略のために「木星帰りの男」シャリア・ブルなどを起用したに留まる(戦争をジオンの勝利に終わらせた後、自らが地球圏を管理・運営しながらゆっくり人類のニュータイプへの覚醒を待つつもりでいると語っている)。
彼の政治思想は、一種の理想主義、選民思想である。スペースノイドは選ばれた民であり、更にその中の優良種がジオン国民であると主張し、国民を煽動した。ギレンは総帥という立場から主に政治に専念することが多く、軍事については弟ドズル・妹キシリアに任せていた。しかし一年戦争開戦当初の電撃作戦や地球侵攻作戦、ア・バオア・クー攻防戦の発案者はギレンであり、その指揮も直接ギレンが執った。一年戦争初期には、サイド3(ジオン公国)以外のスペースコロニーに対する毒ガス攻撃を行い、さらにそのコロニー自体を質量兵器として地上に落下させる「ブリティッシュ作戦」により、地球圏総人口の半数を死に追いやった。このような大量虐殺作戦の背景には、地球環境の保全には選ばれた民による支配が必要であり、増えすぎた人口は調節されなければならないという思想がある。地球圏は選ばれた民により支配されなければならないとする考えは、後のティターンズ指導者ジャミトフ・ハイマンなどにも多大な影響を及ぼしている。しかし、彼に匹敵するスケールの政治ビジョンやカリスマ性を兼ね備えた指導者はその後現れていない。
父デギンからは、「ヒットラーの尻尾」と評され、その急進性を危惧されていた。また、キシリアとは政治的に競合する立場にあり、反目し合っていた。尤も、ギレンは自らの才能と政治思想に絶対の自信を持っており、キシリアなど歯牙にもかけていなかった。彼女が裏であれこれ画策するのを半ば放置していたのも、軽視の表れであろう。
一年戦争末期ア・バオア・クーにおいて連邦軍との最終決戦を目論むが、デギンは事態を憂慮し独断でグレート・デギンに座乗して連邦軍との和平交渉に赴く。自らの戦略に従わない老いた父を完全に見限ったギレンは、グレート・デギンの進路こそレビルが率いる連邦軍の主力・第一艦隊の進攻コースと読む。そして和平交渉が始まる前に事を決しようと、予定を大幅に前倒ししてソーラ・レイをゲル・ドルバ照準に最終設定し作戦時間21:05に発射を指令、レビル将軍もろとも父デギンまでも謀殺した。しかし、ゲル・ドルバ線上からグレート・デギンの識別信号が確認されたとの報告を受け、ギレンが父を殺したと知ったキシリアにより、宇宙世紀0079年12月31日、「父殺しの男」としてア・バオア・クー攻略戦の作戦指揮中に射殺された。
その死後も、彼の思想を熱烈に信奉する集団によって動乱は続いた。宇宙世紀0083年には、エギーユ・デラーズ率いるジオン軍残党勢力デラーズ・フリートが決起し、コンペイトウ(ソロモン)宙域で挙行された観艦式の核兵器による襲撃に続いて北米へのコロニー落とし(星の屑作戦)を決行した。また、0088年の第一次ネオ・ジオン抗争においては、ネオ・ジオン(アクシズ)勢力内のグレミー・トトがギレンのクローンを名乗っている。
なお、女性関係は希薄であったらしい。妻がいたとされるが不仲であったといい、公の場には姿を現しておらず、記録も全く残っていない。秘書のセシリア・アイリーンと愛人関係であったとも。なお、クラウレ・ハモンとも愛人関係にあったとする説もある。
膨大な人命を奪った一年戦争を引き起こし、国民を巧みな弁舌で扇動した事でアドルフ・ヒトラーと並ぶ独裁者と称されている。
彼がガルマ国葬やア・バオア・クー防衛戦時の演説で、国民・将兵・信奉者を鼓舞する為に叫んだ言葉「ジーク・ジオン(Sieg Zeon)」は、かつてヒトラー率いるナチスのスローガンであった「ジークハイル(Sieg Heil:ドイツ語で「勝利万歳」の意)」に因んだ物である。特にガルマ国葬での演説は有名である。
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青年時代に父デギンと共に、ジオン・ダイクンの指導する革命に参加。デギンの隠退後は、ジオン公国の全権を掌握し事実上の最高指導者として君臨する。IQ240の天才で沈着冷静であるが、非情かつ高慢な性格。宇宙世紀0071年にサイド3国民の優秀さを讃え、彼らが選ばれたエリートであるとする選民思想の色合いが強い著書「優性人類生存説」を発表。アースノイドやスペースノイドの大多数には非難されたが、連邦政府の政策に強い不満を持っているサイド3国民からは熱狂的支持を受けた。雄弁家でもあり、アジテーターとしても超一流で、持てる才能を遺憾なく発揮していた。デギンの反対を押し切り、国民の戦意高揚のために末弟ガルマの国葬を利用したところにもそれが現われている。ニュータイプについてはそれほど深い理解や共感を持つことは無く、あくまで政略・戦略のために「木星帰りの男」シャリア・ブルなどを起用したに留まる(戦争をジオンの勝利に終わらせた後、自らが地球圏を管理・運営しながらゆっくり人類のニュータイプへの覚醒を待つつもりでいると語っている)。
彼の政治思想は、一種の理想主義、選民思想である。スペースノイドは選ばれた民であり、更にその中の優良種がジオン国民であると主張し、国民を煽動した。ギレンは総帥という立場から主に政治に専念することが多く、軍事については弟ドズル・妹キシリアに任せていた。しかし一年戦争開戦当初の電撃作戦や地球侵攻作戦、ア・バオア・クー攻防戦の発案者はギレンであり、その指揮も直接ギレンが執った。一年戦争初期には、サイド3(ジオン公国)以外のスペースコロニーに対する毒ガス攻撃を行い、さらにそのコロニー自体を質量兵器として地上に落下させる「ブリティッシュ作戦」により、地球圏総人口の半数を死に追いやった。このような大量虐殺作戦の背景には、地球環境の保全には選ばれた民による支配が必要であり、増えすぎた人口は調節されなければならないという思想がある。地球圏は選ばれた民により支配されなければならないとする考えは、後のティターンズ指導者ジャミトフ・ハイマンなどにも多大な影響を及ぼしている。しかし、彼に匹敵するスケールの政治ビジョンやカリスマ性を兼ね備えた指導者はその後現れていない。
父デギンからは、「ヒットラーの尻尾」と評され、その急進性を危惧されていた。また、キシリアとは政治的に競合する立場にあり、反目し合っていた。尤も、ギレンは自らの才能と政治思想に絶対の自信を持っており、キシリアなど歯牙にもかけていなかった。彼女が裏であれこれ画策するのを半ば放置していたのも、軽視の表れであろう。
一年戦争末期ア・バオア・クーにおいて連邦軍との最終決戦を目論むが、デギンは事態を憂慮し独断でグレート・デギンに座乗して連邦軍との和平交渉に赴く。自らの戦略に従わない老いた父を完全に見限ったギレンは、グレート・デギンの進路こそレビルが率いる連邦軍の主力・第一艦隊の進攻コースと読む。そして和平交渉が始まる前に事を決しようと、予定を大幅に前倒ししてソーラ・レイをゲル・ドルバ照準に最終設定し作戦時間21:05に発射を指令、レビル将軍もろとも父デギンまでも謀殺した。しかし、ゲル・ドルバ線上からグレート・デギンの識別信号が確認されたとの報告を受け、ギレンが父を殺したと知ったキシリアにより、宇宙世紀0079年12月31日、「父殺しの男」としてア・バオア・クー攻略戦の作戦指揮中に射殺された。
その死後も、彼の思想を熱烈に信奉する集団によって動乱は続いた。宇宙世紀0083年には、エギーユ・デラーズ率いるジオン軍残党勢力デラーズ・フリートが決起し、コンペイトウ(ソロモン)宙域で挙行された観艦式の核兵器による襲撃に続いて北米へのコロニー落とし(星の屑作戦)を決行した。また、0088年の第一次ネオ・ジオン抗争においては、ネオ・ジオン(アクシズ)勢力内のグレミー・トトがギレンのクローンを名乗っている。
なお、女性関係は希薄であったらしい。妻がいたとされるが不仲であったといい、公の場には姿を現しておらず、記録も全く残っていない。秘書のセシリア・アイリーンと愛人関係であったとも。なお、クラウレ・ハモンとも愛人関係にあったとする説もある。
膨大な人命を奪った一年戦争を引き起こし、国民を巧みな弁舌で扇動した事でアドルフ・ヒトラーと並ぶ独裁者と称されている。
彼がガルマ国葬やア・バオア・クー防衛戦時の演説で、国民・将兵・信奉者を鼓舞する為に叫んだ言葉「ジーク・ジオン(Sieg Zeon)」は、かつてヒトラー率いるナチスのスローガンであった「ジークハイル(Sieg Heil:ドイツ語で「勝利万歳」の意)」に因んだ物である。特にガルマ国葬での演説は有名である。
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デギン・ソド・ザビ(Degwin Sodo Zabi )
2000年1月5日 人物辞典
ジオン公国初代公王。一年戦争開戦時の年齢は62歳。
ジオン・ダイクンの側近の一人であった。死の床の彼に、共和国2代目首相を指名されたと言われている。その後、ジオン共和国に公国制を敷き、独裁を強める。一年戦争時には隠居した状態になっていた。政治的には穏健派の立場を取り、急進的なギレンと対立する。
かつてはジオン・ズム・ダイクンと盟友関係にあり、0058年のジオン共和国宣言時には地球連邦軍駐留部隊の切り崩しに尽力した。また、連邦軍に対抗するために、共和国宣言時に成立したジオン国防隊を0062年にジオン共和国軍に昇格させ、軍事力の強化に努めた。このようなデギンの軍事路線はダイクンにとって認め難いことだったが、連邦へ対抗するために容認せざるを得なかった。
(近年の安彦氏の解釈ではこれは逆であり、連邦政府との軍事衝突も辞さずという強硬な態度をとっていたのはむしろダイクンの方で、デギンは非戦派であったとされる。)
0067年に連邦政府のコロニー自治権整備法案が廃案となると、両者の対立は強くなり、0068年にダイクンは急死してしまう。これはデギンとギレンによる暗殺とするのが一般的である。ジオン共和国初代首相であった病床のダイクンにより次期首相に指名され(これには、この先起こるであろうダイクン派とデギン派の抗争を避ける為に、後継者にデギンを指名したという説と、「自分を暗殺しようとしたのはデギンだ」と教えようとしたダイクンの行動をデギンが巧妙に利用したとの説がある)2代目首相となると、ダイクン派(旧ジオン派)を粛清して全権を掌握し、0069年8月15日に公国宣言を行い、ジオン公国初代公王に就任した。しかし、妻ナルスがガルマを生んだ際に死亡しており精神的な支えとなる存在がないこと、さらにはダイクン暗殺の報復として次男サスロが車に仕掛けられた爆弾テロにより暗殺(ジンバ・ラル謀略説、キシリア謀略説あり)されたことから、徐々に憔悴していく。また、ダイクンを打倒して頂点に立ってしまったことで功成り名を遂げた後の虚無感に襲われるようになり、全権を子供達に譲り政治的に隠居した状態になってしまった。その後ギレンは軍事独裁路線を推し進めるが、デギンはこれをよしと思わなかった。また、ギレンと政治的に対立し、彼と同じく強硬な独裁路線をとるキシリアのことも好ましく思っていなかったようである。
0079年1月3日、ジオン独立戦争、後の一年戦争が始まったが、デギンにとってこの戦争の目的はあくまでジオン公国を地球連邦に対抗し得る、完全な独立国家としての主権を連邦に認めさせることにあった。しかし、ギレンは当初これを認めていたものの、後に完全に地球連邦を征服した上での、選ばれた優良種たるジオン国民による全人類の管理・運営を目的とするようになった。そのためギレンにとって父デギンは次第に邪魔な存在になっていく。
上記のような経緯から、デギンは猛々しい性格のギレン・キシリア・ドズルを疎み、ガルマを溺愛していたが、ジオン独立戦争が予想外の長期にわたりガルマは地球で戦死してしまう。デギンはその一報を聞いた際に、持っていた杖を使者の前で取り落とすほどの衝撃を受けたと言われる。彼はガルマの密葬を望んだが、ギレンは国葬としてプロパガンダに利用し、両者は対立を深めていく。これ以降、デギンはギレンの独裁を抑えるため、ギレンとキシリアの政治的対立を防ぐために、首相のダルシア・バハロに命じ、密かに連邦との講和を図った。
その後、ソロモン陥落に際し三男ドズルまでも失うが、ガルマの時とは対照的に「ドズルにしてもっともなことであるよ」と冷ややかな言葉を発し、ギレンを激怒させる。ギレンによる軍政が数百万人を超えるコロニー住民の強制疎開にまでエスカレートし、ソーラ・レイを使用した強引なア・バオア・クー最終決戦を目論んだ時点で亡国の危機感を強め、ギレンを中世紀の独裁者アドルフ・ヒットラーになぞらえ「ヒットラーの尻尾」と揶揄している。
ア・バオア・クーでの決戦の直前に至り、自ら和平交渉を進めるために独断で旗艦グレート・デギンに乗り込みレビルが率いる地球連邦軍の主力・第一艦隊との接触を図る。だが、自らの戦略に逆らう老いた父へ見切りをつけたギレンは、グレート・デギンの存在を承知の上でソーラ・レイの発射コースをゲル・ドルバ照準に最終設定する。宇宙世紀0079年12月30日作戦時間21:05、指示通りゲル・ドルバ照準で発射されたソーラ・レイの直撃を受け、デギンは敵将レビルと共に光の渦に呑み込まれて死亡する。
安彦氏の新解釈によれば、デギンは戦争による膨大な犠牲や連邦とジオンの国力差を懸念して、開戦前より強硬に戦争に反対していたとの解釈が採られている。ルウム戦役後、デギンはレビル奪還作戦の手引きをし、恩を売る形で彼に和平を働きかけて欲しいと願ったが、そのレビルが帰還後に恩を仇で返す形で戦争継続の声明を出した(“ジオンに兵なし”の演説)ため、激しく憤っている。演説の中継を映すモニタのリモコンを叩き壊し、さらにデギンとしては前線に出て欲しくないと思っていたガルマに対して「徹底的に連邦を叩け」と発言したほどの憤怒であった。
彼にはギレン(総帥、長男)、サスロ(次男)、ドズル(三男)、キシリア(長女)、ガルマ(四男)の5人の子がいる妻はナルスだが子の母親に関しては諸説ある。なお、サスロとナルスに関しては一年戦争前に死亡している。
乗艦はグワジン級戦艦1番鑑グレート・デギン。
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ジオン・ダイクンの側近の一人であった。死の床の彼に、共和国2代目首相を指名されたと言われている。その後、ジオン共和国に公国制を敷き、独裁を強める。一年戦争時には隠居した状態になっていた。政治的には穏健派の立場を取り、急進的なギレンと対立する。
かつてはジオン・ズム・ダイクンと盟友関係にあり、0058年のジオン共和国宣言時には地球連邦軍駐留部隊の切り崩しに尽力した。また、連邦軍に対抗するために、共和国宣言時に成立したジオン国防隊を0062年にジオン共和国軍に昇格させ、軍事力の強化に努めた。このようなデギンの軍事路線はダイクンにとって認め難いことだったが、連邦へ対抗するために容認せざるを得なかった。
(近年の安彦氏の解釈ではこれは逆であり、連邦政府との軍事衝突も辞さずという強硬な態度をとっていたのはむしろダイクンの方で、デギンは非戦派であったとされる。)
0067年に連邦政府のコロニー自治権整備法案が廃案となると、両者の対立は強くなり、0068年にダイクンは急死してしまう。これはデギンとギレンによる暗殺とするのが一般的である。ジオン共和国初代首相であった病床のダイクンにより次期首相に指名され(これには、この先起こるであろうダイクン派とデギン派の抗争を避ける為に、後継者にデギンを指名したという説と、「自分を暗殺しようとしたのはデギンだ」と教えようとしたダイクンの行動をデギンが巧妙に利用したとの説がある)2代目首相となると、ダイクン派(旧ジオン派)を粛清して全権を掌握し、0069年8月15日に公国宣言を行い、ジオン公国初代公王に就任した。しかし、妻ナルスがガルマを生んだ際に死亡しており精神的な支えとなる存在がないこと、さらにはダイクン暗殺の報復として次男サスロが車に仕掛けられた爆弾テロにより暗殺(ジンバ・ラル謀略説、キシリア謀略説あり)されたことから、徐々に憔悴していく。また、ダイクンを打倒して頂点に立ってしまったことで功成り名を遂げた後の虚無感に襲われるようになり、全権を子供達に譲り政治的に隠居した状態になってしまった。その後ギレンは軍事独裁路線を推し進めるが、デギンはこれをよしと思わなかった。また、ギレンと政治的に対立し、彼と同じく強硬な独裁路線をとるキシリアのことも好ましく思っていなかったようである。
0079年1月3日、ジオン独立戦争、後の一年戦争が始まったが、デギンにとってこの戦争の目的はあくまでジオン公国を地球連邦に対抗し得る、完全な独立国家としての主権を連邦に認めさせることにあった。しかし、ギレンは当初これを認めていたものの、後に完全に地球連邦を征服した上での、選ばれた優良種たるジオン国民による全人類の管理・運営を目的とするようになった。そのためギレンにとって父デギンは次第に邪魔な存在になっていく。
上記のような経緯から、デギンは猛々しい性格のギレン・キシリア・ドズルを疎み、ガルマを溺愛していたが、ジオン独立戦争が予想外の長期にわたりガルマは地球で戦死してしまう。デギンはその一報を聞いた際に、持っていた杖を使者の前で取り落とすほどの衝撃を受けたと言われる。彼はガルマの密葬を望んだが、ギレンは国葬としてプロパガンダに利用し、両者は対立を深めていく。これ以降、デギンはギレンの独裁を抑えるため、ギレンとキシリアの政治的対立を防ぐために、首相のダルシア・バハロに命じ、密かに連邦との講和を図った。
その後、ソロモン陥落に際し三男ドズルまでも失うが、ガルマの時とは対照的に「ドズルにしてもっともなことであるよ」と冷ややかな言葉を発し、ギレンを激怒させる。ギレンによる軍政が数百万人を超えるコロニー住民の強制疎開にまでエスカレートし、ソーラ・レイを使用した強引なア・バオア・クー最終決戦を目論んだ時点で亡国の危機感を強め、ギレンを中世紀の独裁者アドルフ・ヒットラーになぞらえ「ヒットラーの尻尾」と揶揄している。
ア・バオア・クーでの決戦の直前に至り、自ら和平交渉を進めるために独断で旗艦グレート・デギンに乗り込みレビルが率いる地球連邦軍の主力・第一艦隊との接触を図る。だが、自らの戦略に逆らう老いた父へ見切りをつけたギレンは、グレート・デギンの存在を承知の上でソーラ・レイの発射コースをゲル・ドルバ照準に最終設定する。宇宙世紀0079年12月30日作戦時間21:05、指示通りゲル・ドルバ照準で発射されたソーラ・レイの直撃を受け、デギンは敵将レビルと共に光の渦に呑み込まれて死亡する。
安彦氏の新解釈によれば、デギンは戦争による膨大な犠牲や連邦とジオンの国力差を懸念して、開戦前より強硬に戦争に反対していたとの解釈が採られている。ルウム戦役後、デギンはレビル奪還作戦の手引きをし、恩を売る形で彼に和平を働きかけて欲しいと願ったが、そのレビルが帰還後に恩を仇で返す形で戦争継続の声明を出した(“ジオンに兵なし”の演説)ため、激しく憤っている。演説の中継を映すモニタのリモコンを叩き壊し、さらにデギンとしては前線に出て欲しくないと思っていたガルマに対して「徹底的に連邦を叩け」と発言したほどの憤怒であった。
彼にはギレン(総帥、長男)、サスロ(次男)、ドズル(三男)、キシリア(長女)、ガルマ(四男)の5人の子がいる妻はナルスだが子の母親に関しては諸説ある。なお、サスロとナルスに関しては一年戦争前に死亡している。
乗艦はグワジン級戦艦1番鑑グレート・デギン。
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ジオン・ズム・ダイクン(Zeon Zum Deikun)
2000年1月1日 人物辞典
父である。ジオニズムの提唱者。
スペースコロニーへの宇宙移民が始まって半世紀以上が経ち、地球にとどまる特権を持つ人々とスペースノイドと呼ばれる宇宙移民の対立が深まる中、「スペースノイドからこそ新人類『ニュータイプ』が生れる」と説き、スペースノイドの地球からの自治権獲得を訴えて多くのスペースノイドから大きな支持を得た。やがて、サイド3を中心にジオン共和国として独立を宣言し、首相となる。
彼の功績を記念し、ジオン共和国の首都は彼の名を借りてズム・シティと命名された。
しかし、宇宙世紀0068年にダイクンが突然死すると、ジオン共和国はデギンを筆頭とし実質上ザビ家の独裁国家となっていった。彼の死はザビ家による謀殺説が主流。若き日のキシリア・ザビの独走による謀略説もある。死因について、側近だったジンバ・ラルが「トリカブトと東洋の毒キノコを調合したモノを飲まされた」と断言していた事から、自然死であれば心筋梗塞、謀殺による死去であれば毒殺と窺い知れる。
アストライア・トア・ダイクン(クラウレ・ハモンと旧知の仲?酒場「エデン」に勤めていた時に知り合う)との間に一男一女を儲けるが、それが、キャスバル(シャア)、アルティシア(セイラ)である。
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スペースコロニーへの宇宙移民が始まって半世紀以上が経ち、地球にとどまる特権を持つ人々とスペースノイドと呼ばれる宇宙移民の対立が深まる中、「スペースノイドからこそ新人類『ニュータイプ』が生れる」と説き、スペースノイドの地球からの自治権獲得を訴えて多くのスペースノイドから大きな支持を得た。やがて、サイド3を中心にジオン共和国として独立を宣言し、首相となる。
彼の功績を記念し、ジオン共和国の首都は彼の名を借りてズム・シティと命名された。
しかし、宇宙世紀0068年にダイクンが突然死すると、ジオン共和国はデギンを筆頭とし実質上ザビ家の独裁国家となっていった。彼の死はザビ家による謀殺説が主流。若き日のキシリア・ザビの独走による謀略説もある。死因について、側近だったジンバ・ラルが「トリカブトと東洋の毒キノコを調合したモノを飲まされた」と断言していた事から、自然死であれば心筋梗塞、謀殺による死去であれば毒殺と窺い知れる。
アストライア・トア・ダイクン(クラウレ・ハモンと旧知の仲?酒場「エデン」に勤めていた時に知り合う)との間に一男一女を儲けるが、それが、キャスバル(シャア)、アルティシア(セイラ)である。
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ジェラルド・K・オニール(Gerard Kitchen O’Neill)
1999年12月31日 人物辞典
ジェラルド・K・オニール(英:1927年2月6日〜1992年4月27日)はアメリカ合衆国の物理学者であり、宇宙開発に関する先駆者である。
ブルックリン地区に生まれ、1950年にスワースモア大学を卒業し、1954年にコーネル大学で物理学の博士号を取得した。1954年、プリンストン大学に職を得て、亡くなるまで同大学にとどまった。オニールの初期の研究は高エネルギー素粒子物理学に関するもので、particle storage ring を発明した。
1969年、プリンストン大学で一年生向けの物理学の講義をしていたとき、オニールは学生に次のような質問を投げかけた。「惑星表面は技術文明を拡張していくのに適した場所だろうか?」この質問の答えが「いいえ」となる正当な理由が存在する。また、オニールは「オニールのシリンダー」と呼ばれるスペースコロニーのアイデアを研究・提案した。
Stewart Brand の Point Foundation により、1974年5月、宇宙移民に関する小規模の会議が開催された。他の参加者として、当時MITに入学したばかりのK・エリック・ドレクスラーがいた。オニールが学生と共同で執筆した重要な論文 "The Colonization of Space"(宇宙の植民地化)は1974年9月の Physics Today 誌に掲載された。1975年5月には宇宙での工業生産に関するやや大きな会議が開催された。アポロ時代以降の宇宙活動に関わることとなる多くの人々が参加していた。1975年9月、オニールのスペースコロニーのアイデアを大衆側からサポートするためにL5協会が結成された。
1977年、オニールはプリンストン大学に宇宙研究所(Space Studies Institute)を創設した。同研究所は宇宙開発や宇宙資源に関する研究を行っており、現在も活動している。オニールは宇宙での推進方法としてマスドライバーの研究もしている。また、宇宙ステーション、宇宙移民、太陽光発電衛星、月および小惑星での採掘なども研究した。彼の著書 The High Frontier: Human Colonies in Space は宇宙開発信奉者を生み出すきっかけとなった。
オニールは1988年、プリンストンに O’Neill Communications を創設した。この企業は無線コンピュータネットワークの先駆的企業であり、LAWN(Local Area Wireless Networking)システムを製造販売した。
オニールのアイデアのサポーターの1人リック・タムリンソンはオニールの宇宙研究所で働いていた。タムリンソンは1988年、宇宙フロンティア財団の共同創設者の1人となった。設立当初、財団はオニールのアイデアに基づく大規模なスペースコロニーを支持していた。
オニールは白血病を患い、7年間の闘病の末に亡くなった。彼の遺灰の一部は1997年4月21日、宇宙埋葬された。
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ブルックリン地区に生まれ、1950年にスワースモア大学を卒業し、1954年にコーネル大学で物理学の博士号を取得した。1954年、プリンストン大学に職を得て、亡くなるまで同大学にとどまった。オニールの初期の研究は高エネルギー素粒子物理学に関するもので、particle storage ring を発明した。
1969年、プリンストン大学で一年生向けの物理学の講義をしていたとき、オニールは学生に次のような質問を投げかけた。「惑星表面は技術文明を拡張していくのに適した場所だろうか?」この質問の答えが「いいえ」となる正当な理由が存在する。また、オニールは「オニールのシリンダー」と呼ばれるスペースコロニーのアイデアを研究・提案した。
Stewart Brand の Point Foundation により、1974年5月、宇宙移民に関する小規模の会議が開催された。他の参加者として、当時MITに入学したばかりのK・エリック・ドレクスラーがいた。オニールが学生と共同で執筆した重要な論文 "The Colonization of Space"(宇宙の植民地化)は1974年9月の Physics Today 誌に掲載された。1975年5月には宇宙での工業生産に関するやや大きな会議が開催された。アポロ時代以降の宇宙活動に関わることとなる多くの人々が参加していた。1975年9月、オニールのスペースコロニーのアイデアを大衆側からサポートするためにL5協会が結成された。
1977年、オニールはプリンストン大学に宇宙研究所(Space Studies Institute)を創設した。同研究所は宇宙開発や宇宙資源に関する研究を行っており、現在も活動している。オニールは宇宙での推進方法としてマスドライバーの研究もしている。また、宇宙ステーション、宇宙移民、太陽光発電衛星、月および小惑星での採掘なども研究した。彼の著書 The High Frontier: Human Colonies in Space は宇宙開発信奉者を生み出すきっかけとなった。
オニールは1988年、プリンストンに O’Neill Communications を創設した。この企業は無線コンピュータネットワークの先駆的企業であり、LAWN(Local Area Wireless Networking)システムを製造販売した。
オニールのアイデアのサポーターの1人リック・タムリンソンはオニールの宇宙研究所で働いていた。タムリンソンは1988年、宇宙フロンティア財団の共同創設者の1人となった。設立当初、財団はオニールのアイデアに基づく大規模なスペースコロニーを支持していた。
オニールは白血病を患い、7年間の闘病の末に亡くなった。彼の遺灰の一部は1997年4月21日、宇宙埋葬された。
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キャスバル・レム・ダイクン (Casval Rem Deikun)
1999年12月28日 人物辞典
本名である。
宇宙世紀0059年11月17日、
ジオン共和国創始者ジオン・ズム・ダイクンと、
アストライア・トア・ダイクンの子として生まれる。
本名はキャスバル・レム・ダイクン(Casval Rem Deikun) 。
セイラ・マスことアルテイシア・ソム・ダイクンは実妹。
AB型、身長は175〜180?
宇宙世紀0069年(キャスバル10歳)、ジオン・ズム・ダイクンの死後、ザビ家による迫害を受け地球に逃れる。
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宇宙世紀0059年11月17日、
ジオン共和国創始者ジオン・ズム・ダイクンと、
アストライア・トア・ダイクンの子として生まれる。
本名はキャスバル・レム・ダイクン(Casval Rem Deikun) 。
セイラ・マスことアルテイシア・ソム・ダイクンは実妹。
AB型、身長は175〜180?
宇宙世紀0069年(キャスバル10歳)、ジオン・ズム・ダイクンの死後、ザビ家による迫害を受け地球に逃れる。
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