ミノフスキー物理学(Minovsky Physics)
2000年1月16日 用語集ミノフスキー物理学仮説は、ロシア系スペースノイドであるジオン公国在住の物理学者トレノフ・Y・ミノフスキー博士が提唱した学説である。
ミノフスキー粒子(Minovsky Particle)という素粒子の存在を仮定し、自然界の4つの力(重力、電磁力、強い力、弱い力)の統一場理論に決着をつけようとした仮説であった。
宇宙世紀0069年に博士自身がミノフスキー粒子をミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉内にて発見したことで証明され、以後、素粒子物理学の根幹となり、また宇宙世紀の技術には欠かせないものとなった。
この物理学に与えた影響、あるいは軍事技術に与えた影響をミノフスキーショック(Minovsky Shock)と呼び、宇宙世紀最大の事件として大きな影を残すこととなった。
トレノフ・Y・ミノフスキー博士によって発表されたミノフスキー物理学仮説(もちろん当時からこの名称で呼ばれていたわけではない)であったが、従来の物理学の全てを覆す新説は当時の学会には到底容認できるものではなかった。
発表当時、宇宙世紀に復活したエーテル理論だと揶揄され、またそもそもその前提となるミノフスキー粒子が発見される前であったため、ミノフスキー博士は学会を追放された。
ミノフスキー粒子は性質として、静止質量がほとんどゼロで、極めて強力な帯電性質を有する。また、一定濃度において立体格子状に整列する性質を持っており、そのためミノフスキー粒子が散布された空間では、ミノフスキー粒子より大きい物質を通さない性質がある。
これをミノスフキー効果と呼び、モビルスーツの誕生、はては一年戦争勃発の原因になった。
また、ミノフスキー粒子にはニュータイプの感応波(サイコウェーブ)と共鳴する性質があり、一応ミノフスキー通信などに応用されているが、実質的には研究段階であり詳しいことは分かっていない。
一説によれば、第二次ネオ・ジオン抗争においてアクシズの落下を防いだのは、地球全体に漂うミノフスキー粒子がアムロ・レイの感応波に共鳴し、Iフィールドを発生させたためだといわれている。
ミノフスキー粒子が散布された空間では電磁波(マイクロ波〜超長波)、赤外線、一部の可視光線は伝わることができない(一部の可視光線とは、一説によると赤を指し、シャア・アズナブルのパーソナルカラーが赤であったのもこのことからという説もある)。
このため、従来の電波による交信や、レーダー、センサーの多くが使用不能となり、長距離誘導をなされるミサイルの誘導が不可能となってしまい、有視界下における戦闘を余儀なくされることとなる。
従来の電波による交信ができなくなるが、接触回線を使わずとも普通に通信している。これはミノフスキー効果はその濃度によって変わってくるため、レーダーは阻害されるが無線通信は可能だからである。
また、モビルスーツ搭載などの短距離誘導のミサイルはこれに値しない。
また、電子スチルカメラの撮影にも影響が出るため、この時代には一部の好事家のみが使用していたフィルムカメラが数世紀ぶりに活躍するようになった。ビデオの場合も同様で、VHSのようなアナログビデオテープが復活している。
また、一部の電子機器に対する障害も発見されたが、これはさほど深刻なものではなかったようである。一説によればミサイルなどが使用不可能になったのはこの影響とされる。一年戦争時には念のために有線の通信装置を使用したり、前時代的な通信ソケットが使われたりもした。
当時、ミノフスキー博士はサイド4に居を構えていたとする説があるが、これに目をつけたデギン・ソド・ザビの手引きによってサイド3に移り、宇宙世紀0045年にミノフスキー物理学会(Minovsky Physical Society)を立ち上げた。ただし、最初からサイド3の住人であったとする説もある。
宇宙世紀0047年にはミノフスキー物理学会を発展解消して、共同研究者のイヨネスコ博士と共にM&Y社(M&Y Company)を設立。ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉の研究・開発を行い、ミノフスキー粒子の発見と熱核反応炉の実用化に努めた(ただし、ミノフスキー物理学会はその後も存続していたようである)。
宇宙世紀0065年、ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉の実験中、熱核融合炉内にて特殊な電磁波効果を発見。追試をおこなったがこれは非公開とされた。
宇宙世紀0069年にはついにミノフスキー粒子の存在に関する公開確証実験に成功し、ミノフスキー物理学が証明されたのである。
宇宙世紀0070年3月には宇宙空間でのミノフスキー粒子散布下における電磁波妨害をはじめとするさまざまな特殊効果(ミノフスキー効果)の公開確証実験に成功し、宇宙世紀0070年5月にはメガ粒子砲までをも完成させた。しかし、この頃になるとミノフスキー博士は軍国主義の旗色濃いジオンにおいて、戦争へ利用されることを恐れ、宇宙世紀0072年に地球連邦政府へ亡命。これらの技術は連邦側へも伝わることとなる。
宇宙世紀0071年、ジオン公国軍は2年間をかけてミノフスキー粒子散布下における新型兵器を開発するよう各企業に命令を出し、宇宙世紀0073年、ジオニック社の新型兵器・モビルスーツ1号機クラブマンが完成した。
翌宇宙世紀0074には初の制式量産モビルスーツ・ザクIが完成し、宇宙世紀0079年の一年戦争を迎えることになる。
一方、地球連邦軍ではミノフスキー博士を中心にエネルギーCAPの開発を行い、ジオン公国に先んじてビームライフル及びビームサーベルを完成させた。
一年戦争勃発後、ミノフスキー博士は軍事研究から退き、光子とミノフスキー粒子との統一の研究に没頭したといわれるが、詳細は不明である。そもそも、ミノフスキー博士は宇宙世紀0072年の亡命に失敗して死亡したとする説もあり、詳しい経歴が語られていないのが現状である。
一年戦争後もミノフスキー物理学の研究は進められ、宇宙世紀の科学におけるもう一つの柱であるニュータイプの研究と相まって、さまざまな新型兵器が開発された。しかしながら、その発展も宇宙世紀の崩壊とともに幕を閉じることとなる。
ミノフスキー粒子は単にレーダーを妨害する粒子というチャフのようなイメージであるが、ホワイトベースの大気圏突入後の飛行能力のように、とても揚力や推進力で飛行できるような形態ではないホワイトベースが、重力下で飛行するのがミノフスキークラフトによる重力制御飛行である。
Iフィールドは、元々は対ビームバリアーや単にビームバリアー、ビーム偏向フィールドなどと呼ばれていた。磁力バリアーであり、ミノフスキー粒子によるバリアーなのである。
メガ粒子については、ミノフスキー粒子を縮退したものとされているが、「重金属粒子」を振動させたものという説もある。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/より抜粋。
ミノフスキー粒子(Minovsky Particle)という素粒子の存在を仮定し、自然界の4つの力(重力、電磁力、強い力、弱い力)の統一場理論に決着をつけようとした仮説であった。
宇宙世紀0069年に博士自身がミノフスキー粒子をミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉内にて発見したことで証明され、以後、素粒子物理学の根幹となり、また宇宙世紀の技術には欠かせないものとなった。
この物理学に与えた影響、あるいは軍事技術に与えた影響をミノフスキーショック(Minovsky Shock)と呼び、宇宙世紀最大の事件として大きな影を残すこととなった。
トレノフ・Y・ミノフスキー博士によって発表されたミノフスキー物理学仮説(もちろん当時からこの名称で呼ばれていたわけではない)であったが、従来の物理学の全てを覆す新説は当時の学会には到底容認できるものではなかった。
発表当時、宇宙世紀に復活したエーテル理論だと揶揄され、またそもそもその前提となるミノフスキー粒子が発見される前であったため、ミノフスキー博士は学会を追放された。
ミノフスキー粒子は性質として、静止質量がほとんどゼロで、極めて強力な帯電性質を有する。また、一定濃度において立体格子状に整列する性質を持っており、そのためミノフスキー粒子が散布された空間では、ミノフスキー粒子より大きい物質を通さない性質がある。
これをミノスフキー効果と呼び、モビルスーツの誕生、はては一年戦争勃発の原因になった。
また、ミノフスキー粒子にはニュータイプの感応波(サイコウェーブ)と共鳴する性質があり、一応ミノフスキー通信などに応用されているが、実質的には研究段階であり詳しいことは分かっていない。
一説によれば、第二次ネオ・ジオン抗争においてアクシズの落下を防いだのは、地球全体に漂うミノフスキー粒子がアムロ・レイの感応波に共鳴し、Iフィールドを発生させたためだといわれている。
ミノフスキー粒子が散布された空間では電磁波(マイクロ波〜超長波)、赤外線、一部の可視光線は伝わることができない(一部の可視光線とは、一説によると赤を指し、シャア・アズナブルのパーソナルカラーが赤であったのもこのことからという説もある)。
このため、従来の電波による交信や、レーダー、センサーの多くが使用不能となり、長距離誘導をなされるミサイルの誘導が不可能となってしまい、有視界下における戦闘を余儀なくされることとなる。
従来の電波による交信ができなくなるが、接触回線を使わずとも普通に通信している。これはミノフスキー効果はその濃度によって変わってくるため、レーダーは阻害されるが無線通信は可能だからである。
また、モビルスーツ搭載などの短距離誘導のミサイルはこれに値しない。
また、電子スチルカメラの撮影にも影響が出るため、この時代には一部の好事家のみが使用していたフィルムカメラが数世紀ぶりに活躍するようになった。ビデオの場合も同様で、VHSのようなアナログビデオテープが復活している。
また、一部の電子機器に対する障害も発見されたが、これはさほど深刻なものではなかったようである。一説によればミサイルなどが使用不可能になったのはこの影響とされる。一年戦争時には念のために有線の通信装置を使用したり、前時代的な通信ソケットが使われたりもした。
当時、ミノフスキー博士はサイド4に居を構えていたとする説があるが、これに目をつけたデギン・ソド・ザビの手引きによってサイド3に移り、宇宙世紀0045年にミノフスキー物理学会(Minovsky Physical Society)を立ち上げた。ただし、最初からサイド3の住人であったとする説もある。
宇宙世紀0047年にはミノフスキー物理学会を発展解消して、共同研究者のイヨネスコ博士と共にM&Y社(M&Y Company)を設立。ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉の研究・開発を行い、ミノフスキー粒子の発見と熱核反応炉の実用化に努めた(ただし、ミノフスキー物理学会はその後も存続していたようである)。
宇宙世紀0065年、ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉の実験中、熱核融合炉内にて特殊な電磁波効果を発見。追試をおこなったがこれは非公開とされた。
宇宙世紀0069年にはついにミノフスキー粒子の存在に関する公開確証実験に成功し、ミノフスキー物理学が証明されたのである。
宇宙世紀0070年3月には宇宙空間でのミノフスキー粒子散布下における電磁波妨害をはじめとするさまざまな特殊効果(ミノフスキー効果)の公開確証実験に成功し、宇宙世紀0070年5月にはメガ粒子砲までをも完成させた。しかし、この頃になるとミノフスキー博士は軍国主義の旗色濃いジオンにおいて、戦争へ利用されることを恐れ、宇宙世紀0072年に地球連邦政府へ亡命。これらの技術は連邦側へも伝わることとなる。
宇宙世紀0071年、ジオン公国軍は2年間をかけてミノフスキー粒子散布下における新型兵器を開発するよう各企業に命令を出し、宇宙世紀0073年、ジオニック社の新型兵器・モビルスーツ1号機クラブマンが完成した。
翌宇宙世紀0074には初の制式量産モビルスーツ・ザクIが完成し、宇宙世紀0079年の一年戦争を迎えることになる。
一方、地球連邦軍ではミノフスキー博士を中心にエネルギーCAPの開発を行い、ジオン公国に先んじてビームライフル及びビームサーベルを完成させた。
一年戦争勃発後、ミノフスキー博士は軍事研究から退き、光子とミノフスキー粒子との統一の研究に没頭したといわれるが、詳細は不明である。そもそも、ミノフスキー博士は宇宙世紀0072年の亡命に失敗して死亡したとする説もあり、詳しい経歴が語られていないのが現状である。
一年戦争後もミノフスキー物理学の研究は進められ、宇宙世紀の科学におけるもう一つの柱であるニュータイプの研究と相まって、さまざまな新型兵器が開発された。しかしながら、その発展も宇宙世紀の崩壊とともに幕を閉じることとなる。
ミノフスキー粒子は単にレーダーを妨害する粒子というチャフのようなイメージであるが、ホワイトベースの大気圏突入後の飛行能力のように、とても揚力や推進力で飛行できるような形態ではないホワイトベースが、重力下で飛行するのがミノフスキークラフトによる重力制御飛行である。
Iフィールドは、元々は対ビームバリアーや単にビームバリアー、ビーム偏向フィールドなどと呼ばれていた。磁力バリアーであり、ミノフスキー粒子によるバリアーなのである。
メガ粒子については、ミノフスキー粒子を縮退したものとされているが、「重金属粒子」を振動させたものという説もある。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/より抜粋。
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